ゴスペルとは神に向かう魂の叫び

 私が最初にゴスペルと出会ったのは留学先で通った教会でした。黒人、白人、ヒスパニック、アジア人が礼拝に集う多国籍の教会でしたが、礼拝での賛美はブラックゴスペルでした。ブラックゴスペルというジャンルがあるという事は知っていましたが、全身全霊をもって賛美をするブラックゴスペルという音楽を体験したのはその時が始めてでした。私の目の前で70歳以上の高齢の方々が、手を挙げながら、涙を流して神様に賛美をささげている光景をまのあたりにして衝撃をうけたのを今でも覚えています。私の中では賛美とは礼儀正しく、静かに賛美をするという概念があったからでしょう。

聖書には賛美に関する記述がたくさんありますが、とりわけ詩篇はその代表格と言えます。数ある神への賛美を表す言葉の一つにラーナン「叫ぶ」という言葉が使われています。賛美とはただ声を発する事が目的ではなく、苦しい事も、感謝な事も全て含めて、神に向かう魂の叫びであります。この魂の叫びにこそゴスペルのダイナミズムと豊かさがあるのではないでしょうか。英語も大してわからなかった自分が、その賛美の只中にいる時に言葉以上に感動を覚える何かがあります。私自信、心からの賛美を全身で表しささげる時に、魂が揺さぶられ、他の方の賛美と共に共鳴し、知らず知らずの内に涙があふれてくるという体験を幾度となくします。

人間はスピリチュアルな存在である事をこのゴスペルを通して、私達は知る事ができます。自分自身を見つめる時、弱さや足りなさを感じる事が多々あります。その何もないところに目を向け、満たされたいと一生懸命に掘り下げてもそこには空しさだけが残ります。けれども、無からこの世界を造られ、私達をあるがままに受け入れ、一人一人をその名をもって愛して下さる創造主に私達の心の叫びを向ける時、そこには空しさではなく、私達の渇きを満たして下さるお方がおられるのです。

イエス・キリストはサマリヤのある井戸で出会った名もなき女性に「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」と言われました。人生の中で渇きを覚えていたこの女性はすかさずイエス様に、「私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」と叫び求めました。その女性の心の渇きをいままで誰も潤す事ができなかったのに、イエス様はその女性の心の渇きを満たされました。彼女は今まで自分の心を満たす方がだれであるのかは知らないで礼拝をささげていました。しかし、イエス様と出会い、イエス様に叫び求めた時、誰が自分の心の渇きを満たす方なのかを知りました。

賛美には力があります。無限の豊かさがあります。その魂の叫びが私達を満たす方に向かう時に奇跡が起こります。そして、ゴスペルは賛美する側だけでなく、ゴスペルを聞く人々にも感動を与えます。それはその良き知らせを聞く人々が賛美を通して神に心が向けられるからでしょう。数ある賛美の場面で、今でも記憶に残る賛美があります。ある脳性小児麻痺を患った男性が、その日の礼拝での特別賛美の為にステージの上に立ち、多くの人々の前で神様への賛美をささげました。その時の賛美の歌詞は次のような内容でした。「主は今生きておられる、我が内におられる。全ては主の御手にあり、明日も生きよう主がおられる。」身障者として制限がある中で、彼の内側から魂の叫びとなってささげられたその賛美を聞いた誰もが、大きな感動を受けました。多くの人々が立ちあがり、拍手がなりやみませんでした。それは決して彼がすぐれていたからではなく、彼の人生を満たし祝福しておられるお方を、彼の賛美を通して聞く一人一人が体験したからです。

あなたの魂は今渇いているでしょうか。ゴスペル(良き知らせ)とはその魂の叫びを聞かれる神が、あなたの人生の渇きを満たされるという事です。あなたも、ゴスペルを通して決して渇く事がない水を与えるお方に出会う事ができると信じます。多くの人々の人生を満たして下さったお方が、あなたの人生にも決して渇く事のない永遠のいのちの水を与えて下さる事でしょう。皆様の上に神様の豊かな祝福を祈ります。

<行徳キリスト教会 牧師 山本 真仕>