ゴスペルは解放の音楽

ゴスペルは解放

ブラック・ゴスペルは、その昔アフリカ大陸から新大陸に、多くの奴隷として売られてきた黒人たちによって作られてきました。彼らは母国語を奪われ、自由が奪われ、喜びが奪われました。しかし、やがて、奴隷にも教会への参加が認められ、そこで福音(=ゴスペル)を聞くことが出来るようになったのです。

奴隷であった彼らは、現実の世界において、解放されたいと願っていました。自由になるために河を渡り、カナダかメキシコに逃れるか、死んであの世に行くかのどちらかが、自由になる道だと考えられていました。

また、精神的な世界においても、解放されたいと願うようになりました。それは自分の心の中にある、自己中心、罪という問題でした。そしてその罪の奴隷となっている自分を支配する主人、サタン(=悪魔)からの解放を求め、彼らはイエス・キリストに出会って、解放を体験したのです。

誰でも奴隷の状態

黒人奴隷の彼らは、奴隷というものを体験していました。しかし、現代の日本に住む私たちは、誰も自分は奴隷だと思わないかも知れません。しかし、自分の心は悪いと分かっていても、何度も悪いことをやってしまう、罪の習性が私たちの心にはあるのです。それを聖書では、罪の奴隷と言います。誰もが解放されなければならない状態にあるのです。

「イエスは彼らに答えられた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。罪を行なっている者はみな、罪の奴隷です。』」ヨハネ8:34

イエス・キリストの身代わりの死

誰も2000年前に死んだ人が、今の自分と個人的に関係があると信じることが出来ないでしょう。今から約2千年前に生まれた、イエス・キリストは自分でこう言いました。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。ヨハネ14:6」

彼自身が、自分でこのように言ったのですから、よほど頭がおかしい人か、本物かどちらかです。しかし、このイエス・キリストに個人的に出会い、人生が変えられた人が、現在でも世界中で数十億人いると言われています。ゴスペルを歌った彼らも、身分は以前として奴隷のままであっても、精神的な自由、解放を体験したからこそ、あのような歌詞を、心から歌うようになったのです。

イエス・キリストは、一つも罪を犯していないのにも関らず、最後は十字架で死刑となりました。何故でしょうか?それは、私の罪のためです。犯罪を犯したことがなくても、誰もが罪を犯したことがあるのです。その罪の為に、イエス・キリストは身代わりとなって死んだ、そして3日目によみがえった、これが聖書の中心的なメッセージです。

何故イエスが身代わりとして死んだのか?

何故罪の無いイエスが十字架にかかって死んだのでしょうか?仏教徒、あるいは無宗教である私と、イエス・キリストは何も関係のないに、何故“私の為に”と言うのでしょう。それは神が私たちのことを愛しているからです。私たちは本当の神を知りませんが、神は私たちのことを知っています。そして愛しています。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネ3:16」

神様は、ずっと私に対して片思いでした。今も、私が振り向くのをずっと待っています。しかし、神様は決して、あなたの心に押し入ったり、支配したりはしません。もしそうすれば、それは愛の関係でなくなるからです。あくまであなたの意思で、心を開き、イエス・キリストを迎え入れるのを、神は待っているのです。

<恵泉キリスト教会埼京のぞみチャペル牧師 播 義也>